日本100名城制覇を目指して
どもども。
いきなりですが、日本人はスタンプラリーが大好きですよね。
ということでわたしもなにか集めたいと思い買いました。
日本100名城スタンプラリー
日本100名城公式ガイドブック―日本の文化遺産「城」を見に行こう (歴史群像シリーズ)
- 作者: 福代徹,日本城郭協会
- 出版社/メーカー: 学習研究社
- 発売日: 2007/05/25
- メディア: 単行本
- 購入: 5人 クリック: 50回
- この商品を含むブログ (24件) を見る
まあその名の通り公益財団法人日本城郭協会が協議を重ね、
平成19年六月から開始されたスタンプラリーです。
数に偏りはありますが、沖縄那覇から北海道根室とほぼ全国に散らばっています。
扱っている年代も古代から近世と幅広く、様々な様式の城を見ることができるようになっています。
ちなみにこの学研のほかにも日本城郭協会公認の本がありますので、お好きなものを。
早速、大学の研究室で大分県に二つある100名城のひとつである岡城に行ってまいりました。
天気はあいにくの雨、というか結構降っております・・・
岡城(国指定史跡)
別称:臥牛城、豊後竹田城
築城年:文治元年(1185)文禄三年改修(1594)
廃城:明治五年(1872)
城主:志賀氏、中川氏
城郭構造:梯格式山城
天守:複合連結型相塔式三重四階
遺構:石垣、空堀、かまぼこ塀、縄張り完存
岡城といえば滝廉太郎の『荒城の月』で有名ですが、山城にもかかわらず、近世城郭的つくりを持った日本三堅城のひとつです。
日本三堅城とよばれるようになった戦いは大友氏と島津氏の豊薩戦争でその時に岡城城主であった大友家家臣志賀親次(ちかよし)が若干18歳、僅か千人たらずで、島津軍三万五千と籠城戦を行い退けたことからそう呼ばれるようになったようです。
それが現在残っている縄張りではなく、志賀氏が築城した当時の縄張りでの勝利だったので、天然の要害ということも大きな一因だったのかと思います。すごいところに立っていますからねww
現在の縄張りになったのは文禄三年(1594)に大友氏の領地没収にともないこの地を去った志賀氏の代わりに入った中川秀成(ひでしげ)が大改修を行い、慶長元年(1596年)に城と城下町が完成。明治に至るまで中川氏の居城で明治維新を迎えます。
雨が降りしきる中、岡城に到着し、入場料300円を払った後大手門に向かって上っていきます。
登り切って大手門を通ったあとは左に曲がり西ノ丸御殿跡に向かいます。
山城といえば山頂部に戦闘に備えた城郭域と麓に館を置き、普段は館で生活や政務を行い有事の際に山頂の城に上るというのが基本なんですが、岡城は山上域に広大な屋敷が構えられています。
確かになにか異様な感じがします。
しかし、雨でぐしょぐしょのびちょびちょでなにかと集中できません(笑)
結構有名な観光地だったので、整備されてるのかと思いきや、本丸へまっすぐ向かう道以外はほぼ普通の山城探検の様です。私的にはそっちの方が興奮するのですが、この天気だといかんせんつらいです・・・
やはり普通の観光客は本丸へのピストンで帰ってしまうんでしょうね。
西ノ丸屋敷跡の広大な草地を通り抜け、家老屋敷跡にきました。
晴れていればここから阿蘇の山々が見えるはずなんですが、靄がかかっていて城下町が見える程度。
右端に見える石垣は近戸門跡です。
ここから入場受付のある総役所跡にでられるはずなのですが、今回は見るだけでやめておきます・・・
そこから覚左ヱ門屋敷跡に向かいたかったのですが、雨でみんな意気消沈気味なので、とりあえず本丸を目指します。
城代屋敷跡と家老屋敷跡に挟まれた通路にはきれいな石垣が残っています。
それにしても山上にあるとは思えないほど広大な武家屋敷です。
そしてやっと岡城の代名詞ともいえる景色が見えてきました。
荒城の月といえばこの風景ではないかと思います。
三の丸虎口手前から三の丸石垣を見た景色です。
西中仕切跡のから三の丸に入ります。
仕切りということは門ではないんでしょうかね?
しかしながらここから石垣に気合が入ったように思えます(笑)
おそらく切り込みはぎ乱積みですかね、いまいち乱積み布積みの違いに自信がもてません。
西中仕切跡から太鼓櫓門跡を望みます。
このまま右端から伸びている道を行けば本丸の下を通り、搦手にでます。
ちなみに改修される前は、この搦手である下原門跡が大手門だったらしく、その向こうに広がる挾田という地域が旧城下町だったようです。
そして搦手からなら入場料を払わずに入れるらしいです・・・みなさん払いましょうね(笑)
三の丸を抜け、二の丸は置いておいて本丸を向かいます。
それにしても曲輪が小さいように感じます。山城として妥当なんでしょうが、広大な屋敷地がとなりに接していたのをみるとどうもしょぼく見えてしまいます。
本丸に向かうには門はなく、急な階段を上がります。
本丸に入って右奥の端に天守に相当する御三階櫓があったそうなんですが、てっきり左奥の岡城天満社の横にある石垣部分がそれだと思っていました。
なぜ天守と言わなかったのかというと、天守と標高を含めた高さが江戸城天守を超えてしまい、天守から見下ろす形になりかねないという配慮らしいです。
昔はほんとに大変ですね。しかし、難癖つけられて改易になるよりましです。
というかこの話ほかにも聞いたことのあるような・・・
御三階櫓跡だと思っていた御金蔵
それにしても柵もなんにもしていないのでほんとに怖いですww
みんなで下を覗いたりしていましたが、縮み上がります;^^)
二の丸は発掘作業中のようで、地面が掘り返されておりました(ビニールシートをかぶせなくていいのかと思いましたが)
北方にある二の丸は戦闘的要素より遊興的なところだったそうです。
そして滝廉太郎像が二の丸にはあります。
二の丸から覚左ヱ門屋敷がみえますが、見てもわかるように広大な城域です。
往時の姿はほんとに天空の要塞といった感じでしょうね。
さっきみた岡城の代名詞的な部分である石垣の先端です。
ほんとに怖いです・・・下にカラーコーンらしきものがお亡くなりになっていました・・・
こんなところ落城するわけがないです。
晴れた日には遠くの山まで見渡せるはずなんですが、今日はあいにくの天気なので靄がかかっております。
しかし、とても神秘的な雰囲気でわたしはこっちのほうが好きですが。
そのあとは駐車場までおり、スタンプは登城前に受付に置いてあったものを押していたので、あとは帰るはずだったんですが、スタンプがなんだかちがうというか・・・明らかに違う!!!(写真を見てもらえばわかると思いますww)気がしたので、係の人に聞くと、100名城スタンプは受付で直接押してもらうとのこと。どうやらわたしは間違えて普通の観光用スタンプを押してしまったようでした。
100名城スタンプも合わせると、受付には3つのスタンプがあることになります。
きぃぃぃいー!!ややこしい!!
ということで記念すべく第一回目のスタンプは間違えたスタンプの上に押し紙をしてからのスタートとなりました。
日本100名城スタンプラリー95番岡城
残り99/100
参考文献
『日本城郭辞典』鳥羽正雄 東京堂出版 1995年9月
『岡城址ホームページ』竹田氏教育委員会文化課 http://www.city.taketa.oita.jp/okajou/
ではでは。。。